朝の特権
ゆっくりとカーテンが開く音がして、朝日が部屋に射し込む。
「快様、おはようございます」
聞こえてきた声は心地よく自分の名前を呼び、自分の眠りを覚まそうとする。
しかし名前を呼ばれた快という青年は、半分夢の中にいた。寝起きはよくないのだ。
射し込んでくる日の光は眩しく、嫌でも快を起こそうとする。
光に抵抗するかのように布団にもぐろうとする快を少々揺らして目覚めを促す。
それが、彼らの毎日の光景だった。
「…さま、なんて…呼ばない、でって…」
いつも言ってるのに。
快はおそらく無意識的にそう呟いているが、言葉を最後まで言わずにまた眠りにつきそうである。
彼を起こしに来た青年は、相変わらずの発言に小さくため息をついた。
そして仕事をしている時の顔から、一気に素の自分に戻し再び彼を起こす。
「おい、カイ。起きろ」
もともと青年は快にこのような口調で話しかけてはならない。
青年の仕事は快の身の回りの世話を行うことなのだから。
しかし、主人である快が様付けと敬語を止めろと言ってきかなかったのだ。
公の場でそのようなことはできないため、快と青年の2人きりでいる時だけはその命に従っていた。
「んー…。おはよ、ハル…」
快はゆっくりと体を起こした。春は快の前に着替えをさしだし、朝食の準備が整っていることを伝える。
朝には弱い主人を起こしてから送り出すまでが一苦労なのだ。
しかし、その朝の姿を見ることができるのは春だけの特権だった。
寝ぼけながらも差し出された服に着替えている姿は無防備だ。
屋敷のメイド達にだってそんな姿を見せることなどできるはずがなかった。
快と春は幼い頃から主従の関係だった。
古くから名家である快の家と、その家に仕える春の家との間のしきたりのようなものだ。
春は当たり前のように従者としての知識を学び、年齢が近かった快に仕えるようになった。
しかし、春は現実主義、加えて実力主義という性格の持ち主だった。
今時主従関係のある家柄なんて少なくなってきているし、実力があっても何か変わるわけでもない。
自分の性格を考えれば、全く向いていない職業であるとも思わなくもない。
今でもそれは感じている。
それでも、今の仕事が何度面倒だと思おうとも辞めたいと思ったことは一度も無かった。
自分が側にいることによって、主人にとって唯一無二の存在でいられることを知っていたからだ。
「早く着替えないと、敬語に戻すぞ。…快サマ?」
春が主人である快をからかうかのように言った。
快は春に敬語を使われるのが嫌いだった。
年齢も同じくらいで幼い頃から一緒にいるのに、主人と執事という縮めることができない距離が嫌だった。
「……ハルの意地悪」
嫌いだと分かってて敬語を使う春に快は小さく抵抗の言葉を呟くことしか出来なかった。
立場こそ違えど、快は今までに春に勝てたことがなかった。弱点を知り尽くされているからだ。
朝が弱いということ、敬語が嫌いということ以外にも快以上に快のことを知っている。
快が知っている春の弱点なんて「甘い物」くらいしか無いというのに。
ちょっと不公平だよね、と不満を呟きながら着替えていると、早くしろと急かされた。
春の仕事は快の身の回りの世話であり、快の行動が春の仕事に影響する。
はぁい、と適当な返事をして急いで着替えを終えた。
そのまま自室を出て朝食の席へと向かう。
多忙な両親だが、朝食だけは一緒にとる決まりとなっている。
わずかではあるが、朝食の時間は大切な家族の交流の時間だった。
『名家と言われているからこそ、その名に恥じないような行いをしなくてはならないよ』
そう幼い頃から語っていた両親は、快が最も尊敬している存在だ。
今でも名前に負けぬ財力や地位を持っているのは先代や両親の努力と成果によるものであり、
台無しにすることはあってはならない。快はそれをよく知っていたし、そのための努力も惜しまなかった。
だからこそ、快は多くのことを学ぶために学校へ向かうのだ。
家族との朝食を終えた快は、ほとんど出来ている支度を終えて玄関に向かう。
そして家の者に見送られ、学校まで送ってくれる車に快が乗り込もうとしていた時だった。
快様、と後ろから春に呼び止められる。快は様付けされることはやはり寂しさを感じた。
「ネクタイが曲がっているようです」
そう言って快の所までやってきた春はブレザーの制服のネクタイを直し始める。
至近距離に春の顔があることに快は心臓の音が早くなるのを感じた。
快には最近気づいた想いがあった。だからこそ至近距離というのは心臓に悪い。
それは、春とずっと共にありたいという想い。
…表に出さずに心の内に秘めておかなければならない想いだったけれども。
近づいたことでほのかに香る品の良い春の香水。手を伸ばせば抱きしめられる距離。
でも、手を伸ばしても越えることが出来ない見えない壁。
春との関係が壊れてしまうならば、ずっとこの胸に留めておこうと決めたのだ。
そして、今の胸の高鳴りが春に伝わらないように、いつもの表情を浮かべるのだ。
「ありがとう、ハル。…いってきます」
ほんの少しだけ憂いの入った笑顔を春が見逃すはずも無かったのだが、車に乗った快はそれを知らない。
この気持ちは、貴方にはきっと迷惑なもの。
だからずっと秘めておこうと思うのです。
設定がノープラン過ぎてすごいことになってますね(笑
お互い片思いってほのぼの甘くて大好きです。
でも春はどんどん追い込んでいくタイプで、快は追い込まれるタイプ。(09.08.09)
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